★兄の永眠も・・・
☆ずいぶん以前の話になるが、兄が病気と連絡あり、兄の住む東京へ。
兄は、故郷に帰りたいとの希望だった。 ・東京大学を合格した時゛さくら咲いた゛との電報を胸に大喜びしていた父 ・卒後数年して、一冊の本を父の前に・「僕の初めての本を出版できました。」と、正座して父親に差し出した兄 ・突然、本を手にした父は、「こんな解らない本を!!」と・・・。 ・英語の読めない父と、東京大学受験用の問題集だった。 ・泣きそうな兄と父・・・その後、兄は、死去する少し前まで、故郷には、帰らなかった。 死期がおってから、兄は、故郷の徳島に帰りたいと・・・車で付き添い徳島に帰った。 「幸せの家・ありがとう」から見える眉山に、涙を浮かべていた。 ・姉が家を継いだが、医療職の道を選んだ私は、幸せな事に、両親も兄も姉も看取りをさせてもらった。 ・看取りは、寂しくて、悲しいことだが・・・それでも、愛した人の看取りができることは・・・人生の中で、何より、幸せなこと・・。 静かな死期の中、人は、より深い目線の中に、それは、深い、より深い、とても美しい新しい絆を(無言の深い目線の中に)残す。 深い瞳は、死期を知らせ、苦痛の無いことを知らせ、永久の世界への旅路を知らせる。しかし、それだけで無いと・・・。もっと、もっと、美しい何かを伝えているが、今の私には、まだ・・・分からない。 ・自分で体験する時は、伝えれるのだろうか? 2145 2023・5・9・魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★数年前、残されたもの
・突然、幸せの家・ありがとうを訪ねて来た。そして、「ここで、しばらく住みたい。」と・・・。
その余りの寂しそうな様子と、突然のご入所に 驚いた。 奥様の介護疲れで、奥様を施設にお願いしたが、一人になるとヘルパーさん達の訪問も無くなり、寂しさに耐えられなくなったとのこと。 そして、「こんな、小さい建物だけど、ここで暮らすわ」と言って、その夜から、管理室が気に入ったと・・・・。部屋の説明にも聞き入れが無く困ったが、兎に角、その夜は、泊まって頂くことにした。しかし、食事時間も守ってくれず、温めたり作り直したり、また、部屋は、書き物の墨で、布団や家具、壁までもが、黒いしみだらけになり、その上、1階は、夜間に管理者がいないので暮らせないと言っても聴きいれず、その夜から、夜勤者も一人増やし大変となった。 しかし、とにかく、心の痛みが少なくなるまでと、様子を見ることにした。 そして、10日過ぎの事、久しぶりに外出され「大きな施設に入れる事になったから」と、嬉しそうに、荷物を整理して、突然、帰った。 部屋には、こんな句が残されていた。幸せの家・ありがとうに来て、読んだ一句と。 老いのすえ 小さき 幸せ 満ちいりて しかし、彼は、更なる幸せを求めた。 その施設は、ベット上の生活だったが、元気な彼には、耐えがたいと、悲しい手紙が次々届いた。しかし、家族連絡をして、話し合ったが、望みは、叶わなかった。 そして、山のような手紙を頂いたが、一年ほどで、永久の旅立へと・・・。 2023・5・8・魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★多田 博子(姉)83歳・・4月14日 永眠致しました。お世話になった皆様、ありがとうございました。
★数日前、役場施設で卓球を楽しんだと聴いていたが、突然の食欲不振があり、病院で検査入院した。
特に異常もないとのことで、10日ほどの入院で退院となったが、食欲がでるまで、さわやか徳島「幸せの家・ありがとう」に、入所することになった。しかし、その検査入院で、急激な痩せと寝たきりになっていて驚いたが、会話はできた。 ・病院での寝たきりの10日間は、絶食と絶対安静で、尿管が入り、激やせしていた。 ・短期の入院生活でも、高齢者から、日常生活動作(ADL)である、トイレ排泄・食欲・清潔ケアなどの人の持つ基本的欲求を喪失させると、短期に老衰状態へと陥る。検査結果は、複雑な病名が付いていた。 そして、本人や家族(終末期ケア)の希望にて退院し、幸せの家・ありがとうへ。 しばらく、この家で過ごすことになった。・・姉の「最初の希望は、「トイレに行くわ」と・・・。 ・ベット横に、ポータブル便器を置き「もう少し、元気になるまで、ここで」と話すと、固い表情だったが、一応了解した。 両腕で身体を添わせ、抱きかかえた姉のやせ細った身体に、この10日間の辛さを伝えた。 「もう、心配しないで・・」と微笑んで見せたが、姉は、無言で私の表情を食い入るように見つめていた。 姉は、自分の状態を聴きたいのだろうと分かっていたが、姉は、言いだせなく、不機嫌そうな表情で「私が聴きたいことが、分からないの」とばかりに、厳しい目線で見つめてくる。気弱な姉は、質問するのが怖いのだろう。 ・姉とは、小さい時から、いつも一緒にいたので、お互いに、気持ちは分かっている。姉は、気の強い妹の私に、いつも依存的だった。今回も、自分から、話を切り出せないでいた。 しばらくして、排泄があり、「良かったね~」と・・笑顔で話す妹を、固い表情で見つめていた。 それからも・・・ずっと、姉は、無言で見つめていたが、病気については、話さなかった。 私も、心の中では、全面的に現状を受容し、姉のどんな質問も看護の心で受け止めたいと、心していたが・・・。 少しの間に、細く、軽くなっている姉 熱い涙で胸がいっぱいになりそうな自分と、専門職としての自分が相対して存在し、数えきれないほどの旅路を見送った私は、それでも、いつもの微笑みを見せている自分と出会っていた。 姉の自然な死期を看取る時・・・だと・・・。姉の質問には、姉の考えていることに、正直に答えようと考えた矢先、私の孫と姉の孫や息子夫婦が面会にきた。 突然の面会に、孫を引き寄せ名前を呼び嬉しそうな様子で、姉は、驚くほど最後の力をみせた。しかし、これが、姉の最後の笑顔となり、優しい姉に戻って旅路についた。それは、・孫達が帰った直後のこと、少しづつ浅眠状態となり、穏やかな、そして、深い眠りへと。 安らかな旅立ちは、きっと、両親や兄が迎えに来ているのかも知れない。・何時も一緒だった博子姉さん゛また、何時か必ずあえる日まで、さようなら!゛゛永久の世界から、残された義兄を守ってね。゛おばぁちゃん、お父さん、おかぁさん、お兄さん達゛にも、よろしくね。゛博子姉さん、長い間、ありがとう! ゛ ★多くの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。葬儀も、本人遺言により、内輪で執り行いました。心よりお礼を申し上げます。 2023・4・27・魔法の言葉~ありがとう~を添えて!!82071 |
★-アドバンス・ケア・プランニング
「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」
・以下の5ステップで進めるとされています。 ☆ステップ 1:考えてみましょう ☆ステップ 2:信頼できる人が誰かを考えてみましょう ☆ステップ 3:主治医に質問してみましょう ☆ステップ 4:話し合いましょう ☆ステップ 5:伝えましょう ★アドバンス・ケア・プランニング(ACP)とは、人生の最終段階で受ける医療やケアなどについて、患者本人と家族などの身近な人、医療従事者などが事前に繰り返し話し合う取り組みのことです。2018年には、厚生労働省において“人生会議”という愛称が付けられ、2023年現在もその普及啓発活動が盛んに行われています。 ★私たちが病気やけがによって命の危機にさらされたとき、およそ70%の患者は医療やケアについて自分の希望を他者に伝えたり、これから受ける医療やケアを自分で決めたりすることができなくなってしまうといわれています。 そのため、いざというときに「この人ならこんな医療・ケアを希望するだろう」と家族や医療従事者が話し合えるよう、事前に自分の希望や考えを周囲に伝えておくことが大切です。 ★もちろん、人生の最終段階について事前に考えたくないという気持ちを持つ方もいるため、アドバンス・ケア・プランニングを希望しない方には無理に行う必要はありません。本人の希望に応じて行うことが大切です。 2023・4・10・魔法の言葉~ありがとう~を添えて!! 833 |