☆ヤニナさん実習お疲れ様! 5日間 ・ありがとう!
★④東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 病院での孤独死・`人工呼吸器をつけましょう`と・・・・

★④息子から電話があった。
主治医が、「心臓カテーテルをする。心臓のどこが悪いか検査をしなければ、治療ができない。その検査だけでも死ぬ危険性があり、人工呼吸を一時的処置としてつける必要があるかも知れない。もし、付けたら外せないこともある」と話があり、承諾したとのこと・・・・・。苦悶、苦闘している高齢者の命を救いたいと、次々、検査をする医師の姿に、息子も感謝をしているとのこと。本人の意識があり、緩和ケアを自己決定できたと医師から電話で聞いていただけに、驚いた。本人の医療の自己決定も書面が必要と取り急ぎ、面会に行くことにした。
事例は、東京だけで無い。今後、長寿の「夢」を叶えた日本人は、死の文化を高めなければいけないと思う。
話は違うが、数十年前、高齢者がある特養から病院に担送された意識が低下した方に、次々と検査をし、心臓停止に、硬いベットの上で、電気ショック療法が行われた。永眠された身体が、飛び上がり、焦げた皮膚の臭いと茶色くなった胸の跡が痛々しく残った。余りの状況に、中止を申し入れようとしたが、「もう、意識がないから、良いのです。神様が迎えにいらしているから・・・・」と、私の手を握りしめ、泣いていた妻の姿を思い出した。

2023.4.15    魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!~
★③東京で「死ぬ」こと・ 病院での孤独死・終末期医療の家族と本人の違い・2013.4.15 東京町田市市民病院にて
★③★面会の時、こんなことも話した。
「徳島の眉山をみながら暮らすことて素敵だね~山は、変わらないからね~」と、目を細めていた。
私達には、いつも見慣れた景色だが、彼にとっては、幼い時遊んだ眉山は心の故郷だろう。
「では、リハビリは、徳島でね」と話すと、うれしそうに微笑んだ。
しかし、その後、肺機能にも負担がかかり、また、ICUへと移った。息子は、介護を要する母親を入院させ、医師からの連絡で、父親の延命治療を決定をするため病院に出向いた。そして、こちらにも、病院の医師から丁寧な電話があり、今後の治療や病状についての詳しい説明があった。また、本人に、認知症が無いので尋ねると、人工呼吸器や胃漏などの延命処置はしないとの自己決定があったと話し、ICUで、自己決定をしたとも話があった。彼らしいと思ったし、命の終わりを本人も良く分かっているのだと・・・・。(後で、医師の話と家族の話は全く違ったが・・・。)
゛ICUで死ぬこと゛゛病院で死ぬ゛ことは、人として、尊厳を守られた逝き方なのだろうかと・・・・。さびしく思った。
医師は、善行として医療を行う。救急車で担送された本人の医療の選択を考えると、医師からのインフォームドチョイスの中に、そろそろ、緩和ケアがあっても良いと思ったりした。

                     2023.4.14    魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!~
★②東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 病院での孤独死

★②3歳で、都道府県名や将棋などを覚え周囲を驚かせた。
小さい時から、本屋に通っては、難しい漢字や英語を自分で覚え、高校生で、小説も書き賞をもらっていた。中学に入学する頃には、英語で日記を書き、東京大学の時計台の写真を貼っていた。東大に入学するのが彼の夢だった。「サクラ サイタ」との合格通知は、親戚や近隣の人々も駆け付け祝っていた。貧しい人たちの為に、将来、弁護士になりたいと両親に約束し東京に出た。しかし、大学3年の時、作家・三島由紀夫氏にあこがれ、翌年、フランス文学部に学部を変更した。父親に勘当され学費の送付が止まっり、彼の叔父が、学費を支え、婚約者が生活を。卒後、大学院へ進みたいと故郷に帰ったが、その頃、父親も事業に失敗し家族は、どん底の生活をしいられていた。年老いた叔父にも断られ、卒業後、しばらく某新聞社に就職し新聞記者をしていたが、結婚し、子供もでき、「由紀夫」と名づけた。そして、貧しくても好きな学問への生活へと入った。その後、故郷には、ほとんど帰らず、自慢の息子だった両親は、息子のことを死ぬまでほとんど口にしなかった。老いて、妻が要介護者となり、日々、介護に明け暮れた。が、家事や介護がほとんどできず、妻に叱られて、時折、介護相談の電話があった。/strong>
2013、4、12    魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!~
★①東京で「死ぬ」こと・・・・・・。病院での孤独死・・・・・2013.4.15 東京町田市市民病院にて
★①79歳、男性、突然息苦しくなり、救急車を依頼
救急救命士が判断し「すぐは、重症でないので゜・・・」とのことで、移送を断られた。
そして、2日目、ついに、全身が腫れ、重症になっていく夫をみて、要介護の妻が再度連絡した。妻は、歩行ができず、付き添いもできなかったが、市民病院のICUに担送された。心不全の診断名で、すでに、尿も出ず、意識も低がり「命」の終わりが近づいていた。意識レベルは下がっても、苦しさや不快感は分かるのか、点滴や導尿を抜くため、手にはグローブ、身体には、抑制帯が取り付けられていた。意識がもどった後も、ベット抑制帯は、そのままとなっていた。
 入院より7日目、浮腫も軽減し、命は取りとめたが、喘鳴を伴い発熱し重体。医師より、死の告知の連絡があったと知らせてくれた。本人は、死ぬより苦しい、苦悩の日々が続いていたが、その優しい人格は、「良くして頂いている。」「僕のような者が、こんなに人のお世話になれるなんて・・・」と話した。この所、誰一人付き添ったり面会も無い大都会の病院での孤独死だ。若い看護師は、「僕のような者・・・と再三話されるので、どんな生活歴のある人かと不思議に思っていた。」と、初めて訪れた面会者に、患者の生活歴を尋ねた。高い教育や生活歴を持つ彼は、その問いかけを、目を閉じて聴いていた。そして、「死ぬ時は、みんな一緒だ。」と・・・。口元が初めて緩んだ。(彼の英語の問題集は、とても難しいが、何時もベスト10に入っているほどだが・・・・)
 8階の観察室は、大きなガラス窓があり、そこから、密集した住宅の風景が一望できたが、ベットに、抑制された患者は、座ることさえ許されなかった。ただ、一つ、 枕元のCDから、流れるクラッシックは、文学を愛してきた彼の慰めとなっていると思って、少し心が救われた。
  2013、4、11           魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!~
☆フィンランドの国立ヘルシンキメトロポリア応用科学大学保健・看護学部から、ヤニナさん実習終わりです。お疲れ様! 5日間 ・ありがとう!









通訳をボランティア活動で楽しまれた大野氏・河野氏ありがとう!素晴らしい研修をプログラム下さった多田教授ありがとう!ヤニナさんありがとう!(資格取得後、フランスで看護師をされるそうです。)★藍の館は、ヤニナさん・安部館長さん・麻野です。~何時も館長さんには、優しくして頂いています。
2023.4.26  
  魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!
★藍住西幼稚園・ふれあい活動来所・80人來初・ありがとう!
★Welcome!   藍住西幼稚園・園児達・先生方・素敵な園長先生・ありがとう!そして、ヤニナさん!★徳島大学医学部保健学科教授多田敏子先生ありがとう
通訳は、大野 正夫氏・ありがとう   2023.4.24  
  魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!