★眉山カンポの宿で徳島県シルバー大学院OB・介護1期会・講演させて頂きました。・・10、30分~ありがとう
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★包括ケアの町づくりが急がれる!・・安心して暮せる社会に。
突然、夫の知人だった90歳近い男性が「幸せの家・ありがとう」を尋ねて来た。
「ここで、暮らそうと思ってな~・・・・」と、身辺の荷物を持っている。 聴くと、奥様が入院し独りぼっちとなり、寂しくて一人家で暮せなくなったと話した。 それでも、好きな俳句や近状話を。、 しばらく、多弁に話した後、「2週間の間、誰とも話さなかったから、うれしかった。」と優しい笑顔になった。 好きな短歌に話題が移り、こんな俳句も・・・たくさんつくられ頂きました。一部、ご紹介を。 「正月も一人罪あるごとく病む」 ★・・・正月も一人さびしく、まるで罪人のように暮らす と、詠まれたのでしょうか。そして、こんな句も・・・・ 「余生尚生きる心尊まの小正月」・・・・・・心尊(尊ぶことはいともたやすい) 「人は、孤独だ」と早くから心することが大切なのだろうか。 ★包括ケアの町づくりが急がれると思う。 2013、1、9 魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★在宅で最期まで暮らすこと。~長い間、ありがとう!~②
夫(新一)の死去から49日が過ぎた頃、夫の友人達が、訪ねてきた。
そして、こんな話しを。 「今回の新ちゃんの葬儀と一緒に゛のぶこさんの生前葬゛をあげたことだが、私の家内だったら、絶対許さん。」 「葬儀も仏壇もハイカラで、嫌だ。」と・・・・。 そして、「元気だったのに・・・。寂しくなった」と、友人の一人は、喪失感をにじませ話した。 夫新一の遺言は「尊厳死を頼む」と「普通の葬儀をしてほしい。」との希望だった。命の告知から2年、葬儀は、ベストを尽くし準備したもので、仏壇?は、カナダで購入した家具だった。すべて、私流だが、今もそれで良かったと思っている。 それから、3年、その方の旅路の仕度を。 葬儀の日は、暖かな一日で、生前愛しただろう子ども達や孫達も訪れていた。 できるだけ、本人の希望に沿いたいと心しながら準備した。 こうして、人は、何となく身近な人に、終末のメッセージを伝えているのかも知れない。 ★人の絆とは、そんなことかも知れないと思ったりする・・・・。 2013、1、8 魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★在宅で最期まで暮らすこと。~長い間、ありがとう!~①
部屋には、夫婦の介護ペットが並び、枕もとに、小さな照明があった。
ゆっくりした深い呼吸音が聞こえ、そして、長い呼吸停止を繰り返す。 84歳の生命の終りを告げていた。 深い眠りとやすらかな表情は、心地よい夢の中だろうか。 最期まで在宅で暮らしたいと願う夫に、妻が付き添っている。 80才代夫婦の老々介護だ。 一週間も前のこと「夫が信子さんを呼べと言うから・・・・」と妻から電話があった。 「死の受容」をし、何か言い残したいことでもあるのだろうかと、急ぎ訪問した。 小さくなった顔は、今にも枕に埋もれそうになっていた。 声をかけたが、もう開眼する気力も無い。 それでも、「のぶこさんやな~。たのむぞ」と、口元が緩み微笑んだ。 「のぶこさんは怖かったけどな~」と、今度は悪戯っ子のように微笑む。 ジョークを言っては、人を和まし仲間から愛されていた様子は、最期まで変わらずだ。 口腔ケアをして、アイスクリームを少し口に運ぶと、「ごくり」と。 表情が「ふぁー」と穏やかとなった。また、「ごくり」」と。 そんな様子に、心が、熱くなり、思いがつながる。 しばらくして、深い眠りについた。 「死に行く人は、他者にエネルギーをもたらす。」といわれるが、 「頼むぞ」の一言は、70歳近い私の心に熱いエネルギーを注ぎ込んだ。 そして、2日後、安らかに永眠された。 松田と2人で旅立ちの仕度を。 凛とした、その姿は、「人の尊厳」そのものに思えた。 2012年1月7日20時45分死去されました。 ・・魔法の言葉~ありがとう~添えて! |
★田子 統子さま・徳島新聞文化・俳壇賞に輝く!
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★Happy New Year! May this year will be happy and fruitful.
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