★文理大学・看護科・4年生実習開始第一回3名・~ありがとう!~
|
★⑨東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 「助けて!」と叫ぶ声が聴こえますか?
★夕方、息子からメールがきた。高熱で肺炎、下痢が11回も続き意識が低くなっている。苦しそうだと。下痢は、抗生剤の副作用によるものと思う。予測される合併症だけに残念な経過となった。人生の最期に残酷な現実だと思う。★今回開催される第15回・日本褥瘡学会から、発表させて頂く文章での校正が届いた。プログラムをみながら、「高齢者が幸せに過ごせるように」と、全国の方達が、こんなに頑張っているのにと・・・・・・。彼の置かれた現場の様子は、とても厳しい現状があり、もう、そろそろ、そんな時代では無いと思うが・・・。こんな悲しいこと・・・が、あって良いのだろうか。
~ 人を愛そう! 終末期 医療の知識をもとう! 成熟した福祉社会を創ろう!~ 2013年5月5日 魔法の言葉 ~ありがとう~添えて! |
★⑧東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 「助けて!」と
★徳島と東京の遠距離介護には、限界があり心配している。★息子から、37度ほどの微熱があったと知らせて来た。この前の面会時に「長い間、便が出ていない。お腹が張っています。浣腸を」と看護師に頼んだが・・・・。次の日、息子に「便が貯まっているから、看護師さんに、浣腸をお願いしてね。」と頼んでおいた。すると、浣腸で、多量に排便があり、熱も下がったと驚いて報告があった。腸閉塞の一歩手前だった。高齢者に限らないが、排泄・食事・清潔・睡眠、「尊厳維持と命にかかわること」だ。自分で健康管理が出来なくなっている。ケアが整い、自己治癒力は高まり病気は回復する。「普通の暮らし」と「尊厳(人権)」を取り戻して、自己治癒力は高まる。
★虚弱となった高齢者には、こうした怖い合併症に次々襲われ人生が変わって行く。兎に角、早く退院が急がれるが・・・・・。人には、生きて来たいろんな思いが沢山ある。そして、一番問題なのは、本人も家族も危険性に気が付いていないこと。>★温かい「絆」の中で、もう一度、故郷へ帰れることを祈っています。 2013年5月4日 魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!font> |
★⑦東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 5回目の面会・・患者の立場
★79歳での1ケ月臥床は、座位や歩行機能を奪い、コンビューターや抑制帯による指先抑制は、スプーンも自由に握れなくなっていた。鼻腔に入れた、酸素の管は、鼻汁で詰まっていた。全身、垢まみれで、爪も驚くほど伸び異臭がした。枕元の水分補給量用紙は、白紙のまま。患者は、脱水状態でぼんやりし「お水を少しばかり頂けたらありがたいのですが・・。」と看護師に問いかけていた。看護師は、「利尿剤を使っているのに、尿量が少ない。点滴を500ml、毎日していますので大丈夫です。ただ、食事が飲み込めなくなっているのが困るんですよね。」と、ちぐはぐな返事をした。話しながら、尿カテーテルを荒っぽく振って、尿量のチェックをしていたが、患者側は、さぞかし辛い思いだろう。その後、しばらくして、昼食が運ばれたが、利き手は、点滴やコンピューターの線で固定され、粥がどうにかすくえる程度に動いていた。「食べ物が通過しないんだね~」と飲み込めない様子。ねのみのお茶を差し出すと一気に飲み干し、次いで「ヨモギ餅」を。それは、驚くほど早い食べ様で「嚥下機能は、大丈夫だったね~」と笑っている。★それを見つけた看護師が「持ち込み食は禁止です。それに、おもちなど!」と険しい表情で、主治医も呼んだのか、2人とも興奮気味だった。「でも、長い間便も出ていないのかお腹が張っていて、その上、強度の脱水、これでは、せっかく助けて頂いた命も助かりません。」と説明したが、「嚥下困難については、精神科の受診」と。2人共、ますますの剣幕で立腹していた。★余りの態度に、老人医学学会の立場表明やこの病院の活動目的や理念を問うと「そんなことは、興味がないし知らない。本人の意思だけで退院はできない。」と、医師は言い切った。医療の自己決定は、守られるのかと。<その後、若い精神科医が長谷川式の認知症検査の項目を3つほどした。前回の人工呼吸器は、免れたが、今度は、栄養不足と寝たきりと脱水と認知症の病名だろうか。(延命治療&胃漏コース&認知症なのか。)★それでも、元気をだして、頭を洗って、全身洗身し、酸素の管の鼻汁も取た。りんごジュースも飲み、希望していたイチゴもいっぱい食べた。頬にほんのりと赤みがさし表情も生き生きとなった。命の強さと美しさを感じ感動したのもつかの間、そんなどころではなかった。★「電解質が上がるし、食べ物は禁止といったはずです!医師の指示です。私達の責任になります。」と、若くてなかなかの美人だが、厳しい表情で睨みつけていた。ケアをさぼっていた看護師達にも責任はあると思うが・・。
★私は、しなやかに生きて行く人生を希望しているが、難しいことが多い気がする。 2013年4月30日・2013年5月1日の面会にて 魔法の言葉 ~ありがとう~添えて! |
★⑥東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 出版社・・育文社 山田 さまとの出逢い
|
★⑤東京で「死ぬ」こと・・・・・・。 電気ショック療法はしないのですか? ・・・2013.4.18 東京町田市民病院
★⑤面会に行くと ICUに移っていたが、意識もはっきりしていて、会話もできた。すでに、中心静脈栄養と酸素吸入はつけていた。終末医療の自己決定の為、ノートに書いて問うことを本人が希望した。
☆人工呼吸を付ける&付けない。 ☆胃ろうは付ける&付けない。 ☆中心静脈栄養をする&しない。 など。本人の知識は、豊かで、一つ一つ震える指先で 「しない」にまるを入れた。終末期医療の5項目の中の4っまで、自己決定できた。30分ほどして、もう一度、そのことを話し合ったがはっきり意思決定でき、簡単な長谷川式スケール表の質問にも答え認知症症状は無かった。★暫くして、主侍医と同席してほしいと息子から話があり、人工呼吸や積極的医療の必要性を説明された。が、本人のサインと日づけが入った終末期医療の自己決定をしたノートを見せると、若い医師は、驚いき「こんなの見たのは初めてだ。」と、コピーをした。★しかし、その中に記載のない「心臓の電気ショック」を最期にするかどうかと息子に尋ねたが、知らないため決定できないと答えていた。「その処置をしないと、植物人間のようになる場合もある」と医師の説明に、本人が決定できるので、本人希望を聴いてほしいと主治医に提案した。そして、彼は、「緩和ケアを望んでいる」と伝えたが、主治医は若く、一生懸命「命」を助けるため自分の考え方を話し納得が得られなかった。★今後、積極的医療を受けない人は、ICUから、一般病棟にすぐ変ること。そして、別の病院に転移することが条件に出された。そんなこととは知らない本人は、「何か食べさせてほしいから、先生にお願いしてほしい。」と。「ずいぶん何も食べていないしね~。お腹もぐるぐるいうよ」と子どもみたいに無邪気に笑った。食事をお願いしてみたが、ダメとのことで、それでも、次の日は、流動食がでた。飲み込みは十分可能だが、治療方針とのことで、がっかりしていた。人の尊厳を改めて心し、目頭が熱くなった。次の日、見舞いに行くと、ICUから、一般病棟へ移動していた。★帰りかけると、主治医が呼び止め「電気ショック療法は、しないのですか?」と。再度家族に問いかけた。 ★でも、良いこともあった。彼の本を出版している社長と彼の後輩という2人の素敵な方がお見舞いにこられた。面会後、元気が出たのか、「徳島に帰るよ」と、顔をほころばした。 2023.4.18 魔法の言葉 ~ありがとう~添えて!~ |
★こんなに大きくなりました。犬を預かって下さい。子ども達のボランティア活動は、こんなに若者の心を豊かにします。
|