★独立行政法人国立病院機構看護専門学校に、終末ケアでの特別講演をさせて頂きました。
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★「悠々と急げ」と言うけれど・・・。①~「悟り」と「尊厳」の中で~
★終末期をどう過ごすかほとんどの方達は、ある程度自己決定しているように思うが、死期を迎えるのは、思った様にはいかないと思う。本人にとっては、突然、訪れたように思うことが多いだろう。
★今年、2月の少し前の日のこと。 とても尊敬していた方と40年ぶりの懐かしい出会いだった。 そして、終末ケアも・・。 忙しかった人生を、ゆっくりした時間を取りたいと終末まで暮らせる準備のお手伝いしていた矢先だった。老化と障害や慢性的な病気はあったが、特別な知識人で健康には気をつけていた。が、 突然の死期だった。 ★死去の6日前のこと。 清潔ケアをお願いしてみると快く了解がされ、髭剃そり、洗身し、爪切りと。最後に口腔ケアを終えると「あぁ、気持ち良かった!」と「小さな幸せ」に、優しい笑顔をみせた。看護者には、一番うれしい瞬間だった。そんな様子に「心はすこぶる健康だ。」と「悠々と急げ」と言う言葉を思いだし゛さすがだ゛と。また、変化する病状も、もう一人の本人がいて 淡々と説明を。薬の効果や味についても教えてくれた。 ★その5日ほど前 「この家が建った時、高齢になれば、ここで暮らせばいい。と 娘が話していた。」と優しい笑顔だった。 「枕元に仏壇がある。この部屋はとてもよい設計でしょう。」と。美しい奥様の写真が、見守っていた。 ★再会し2ケ月ほど、自宅で暮らす準備のご相談を。心ある優しいスタッフも決まり、いよいよゆっくりした時間を楽しみたいと、日程のご相談をしていたところだった。 最後の夢は叶わなかったが、優しい娘さまとその家族に見守られての永眠だった。 ★旅路の支度を。 凛としたその優しい姿は、「悟り」と「尊厳」の中で永眠されたのでしょうか。 2015.2.27 魔法の言葉 ~ありがとう~ を添えて! ♥♥♥ |
★「人の死も自然」の中で・・・③~死への受容した中~安楽死をしたい。と~
★背中の褥瘡も治り、食事も「おいしい~」と増量され歩行もできるようになった。また、園児達の訪問は、すこぶる彼女を幸せにした。そして、毎朝、入浴後化粧もした。しばし、幸せの家での生活を楽しまれ「元気になるかな?」と期待した・・・と思う。しかし、強度の貧血と腹水と静かに死期は忍び寄っていた。
★そんな日々の深夜、突然の がん性疼痛、主治医が貼り薬を。痛みはすぐ止まったが、言い知れない不安が押し寄せたのか、強く入院治療を希望した。しばし、傾聴し受容していると疲れたのか眠りに。その安らかな呼吸音を聴きながら「どうか 安らかに・・」と看護の心に祈った。その日から、深夜になると不安になるのか同じ話を繰り返したが、死去する2日前の夜「安楽死をさせて下さい。」と。初めて優しい表情を見せた。きっと、死への受容をされたと思う。透けるように白く冷たい手は、寄り添うものへ優しさを伝えた。次の日、家族に旅路の準備をお願いした。その夜、小さな声で「イチゴを・・・。」と。しばらくイチゴを見ていたが、少しづつ深い眠りの中へ。幸せの家・ありがとうで過ごしたのは、3週間ほどの短い期間だった。 享年83歳だった。 43063(541) 2015.2.26 魔法の言葉 ~ありがとう~ を添えて! ♥♥♥ |
★「人の死も自然」の中で・・・②~死への葛藤の中で~
★突然のご入居 、短い出会いだった。
家の近くの老人保健施設で、優しいヘルパーとの出会いがあり、楽しい日々を過ごしたとのこと。しかし、3年ほど前、肺がんとの診断を受け入院治療したが、その後、再発を繰り返した。昨年「12月までは、とても命が持たない」と主治医から告知を受けた。そうした不安の中、新しい年を迎えたが、衰弱が進み、褥瘡、呼吸困難、酸素療法と。足も弱り自由に歩行ができなくなった。その上、ガン性疼痛と耐え難い心身の苦悩に見舞われ、施設側もケアの限界をこえた。救急車で病院に担送したが入院は拒否され再び施設に帰ったとのこと。家族は、心身ともに緩和ケアを含む終末ケアが必要と゛幸せの家・ありがとう゛にご入所された。ご家族や尊敬している知人から、お話を聴き、ご入所は、自己決定と思いお迎えに行った。しかし、彼女は、とても驚き私達やご家族に激しく立腹された。そして、深いコミュニケーションを図る間もなく他界された。 2015.2.25 魔法の言葉 ~ありがとう~を添えて! ♥♥♥ |
★「人の死も自然」の中で・・・①~自己決定の無い入所と死生観の違いの中で~
★自己決定だと思い込み迎えに行った私達がうかつだった。食欲がなく、ほとんど食事が摂取できないと聞いていたスタッフが、早朝からお寿司をつくり準備していた。着くとすぐ、お寿司を一気に全量摂取し みんなを驚かせた。先ほどまで酸素吸入し褥瘡もあるとは思えないほど元気な様子を見せた。しかし、食後、病院の入院でないことを知り、居場所を変わることに驚き 私達や家族に立腹され激怒された。私たちも初めて、ここへの入所が自己決定で無かったことを知った。それでも、その日は、夕食もほとんど摂取され 疲れたのかすぐ入眠した。
★しかし、その深夜目覚め、当直の看護師を呼び 朝まで厳しい言葉で立腹され無理難題を指示した。看護師をとても困惑させたが、傾聴すると本人は、延命の為に治療が希望だった。次の日、家族調整し本人の希望も話したが「死生観」の違いは、死期がせまる中、治療の受け入れ病院を受診することさえ難しくなっていた。往診の優しい主治医は、長い時間を取り希望を傾聴し受容し心身の緩和ケアを。生と死への葛藤の中、私達に向けられた厳しい目線は「どうしてなの?」と問いかける。 それでも、死去する数時間は、意識が低下し静かな時を過ごした。 「尊厳死」を多くが希望する中、延命治療を希望している方達もいて、延命治療を受ける権利は、誰しも保障されている。が・・・。 2015.2.24 魔法の言葉 ~ありがとう~を添えて! ♥♥♥ |