★兵庫県立リハビリテーション中央病院へ ④
★回復リハビリの為、神戸の病院に転医した。ここでは、徹底した社会復帰へのリハビリが行われている。朝夕の着替え、洗面、清潔ケア、そして、すぐ、排泄も自立へ。排せつ介助は、感染予防からNSがと徹底した健康管理が実践されていた。昼間は、トレーニングができる服装に着替え、OT・PT・NSなどのスタッフと当事者で話し合いを持ちながら、徹底したADLの回復訓練へと。夜間は、寝間着に更衣ケアがなされ、それもシステムとして、徹底している。どんな状態でも、普通の生活ができるシステムケアが準備されていた。その上、日常生活に対象者が実行可能なことを即座にプログラムしてゆくケアプロ集団だった。病院のNSも身辺ケアを業務とし、すべて自立への訓練へとケアが包括的にセットされ、ケアのプロ達がチームケアしている。リハビリと生活指導やケアが徹底して実践されている。足の踵部が少し赤いと、すぐ、保護テープが張られ、クッションが足下に敷かれた。褥瘡は、つくらないケアに徹していて、看護ケアの質の高さを見せた。リハビリ専門病院のシステムに感動した。OT・PT・NS・MSWも、時間的に空きができれば、受け持ちの対象者をベットサイドに訪問し、対象者と話し合い、対象者が了解すれば訓練を始める。OT・PTは、麻痺した身体を自分たちの身体をばねやテコにし可動域を延ばして行く。ここでは、すべてのスタッフが輝いていて見える。毎日、徹底した自立への支援を重ねて行く。どの対象者も生き生きし、自らの目的に向って最大の自己治癒力を発揮できる環境づくりがシステム化され医療の素晴らしさと都会の大病院での実力を目のあたりにした。担当医師も心のケアをしながら「いいね!それはいい!」と近い将来への希望と自立に向けての方向を示した。今回、突然の不幸に見舞われた本人も、急性期には、急性期病院で「命」を助けて頂き、リハビリ病院では、大きな希望のもとで、徹底したリハビリを受けている。頑張っている。病院は、大都会の、それも日本でも有数なリハビリ専門病院だ。不幸は、いつ訪れるか誰にも分からないが、この病院に来て「不幸は、幸せへの出発かも知れない。」と思ったり、日本の医療の素晴らしさを思い、感謝で胸を熱くしています。 ★2016・7・7 魔法の言葉 ありがとう を添えて!
|
★兵庫県立リハビリテーション中央病院へ ③
★病院は、板野から車で高速道路を経由すると約1時間30分ほどで到着する。徳島~高松の病院~神戸までは、4時間ほどかかる。介護レンターカーを借りようかと思ったり、家族の支援を頼んだりと、いろいろ考えていたが・・・。しかし、ぜひ、自分自身で送り、病院の治療システムやスタッフともお会いしたいと考え、まずは、実践可能かどうかの計画をたてる事にした。退院時の早朝の移動・高速道路の運転・入院時の荷物と搬入・自分自身の年齢などなど。しかし、本来の性格からか、できない要因は、何一つ浮かばず「しなやかに、やればできる。」と考えれば考えるほど不思議な自信が自分を強くする。朝、7時にお世話になった病院に挨拶し出発 ベットサイドから車いすへ。難所は、車いすから介護車のスロープの坂だった。が、少し距離を取り勢いをつけると無事乗り込めた。あいにくの雨だったが、日本でも有名なリハビリ病院への夢を膨らませ、安全運転を誓いながら病院に。まずは、受付へ。名前を告げると、すでに、入院書類は準備され、親切な対応に安堵し疲れも癒された。また、病室に案内されるまで、幾人かの患者さまやスタッフとお会いしたが、初めてお会いするにも関わらず笑顔で話しかけ、とにかく、みんな明るい。都会の方達だな~と。さすがに、関西人は素敵!との第一印象だった。
★2016・7・8 魔法の言葉 ありがとう を添えて! |
★兵庫県立リハビリテーション中央病院へ転院 ②
★6月の・・日、突然の転倒 高松駅と救急ベットまでの空白時間 気が付くと突然の全身麻痺だった。診断は、画像診断 頸椎が2か所折れ、診断は、頸椎損傷 本人に渡された画像は、頸椎骨が矢の様に折れて刺さっていた。2日後、頸椎専門医の手術となり、不幸中の幸いか「神経は、脈打っていた。」との医師の説明に心が癒された。
しかし、当事者の葛藤は想像を絶すると思うが、妹夫婦の助けと質の高い医療の元、「命」の急性期を乗り切った。後は、専門リハビリや自助用品で、どれだけADLを回復するかだ。また、大きく次に希望を繋いだのは、地域連携室の包括ケア担当者の役割だった。相談員は、直接病室を訪問し患者や家族の希望を聴き、リハビリ病院を紹介し情報の提供や社会資源を整え家族力を引き出し広げて行く。連携ケアを整え患者や家族力を高め、次への希望と切れ目のない包括ケアを提供して行く。医療改正で早期退院も患者にとって、ベストな状態だが、これもなかなか家族力が必要となる。また、四国には、専門リハビリテーションが無いとのことで、都市の専門リハビリ病院を紹介された。が、有名な病院は常に患者でいっぱいだった。家族で、岡山と神戸の病院に見学に行ったが、岡山は、山の中にあり静かな施設であったが、神戸は、都会の町にあり活気がみなぎっていた。病院は、両方とも日本でも有数なリハビリ専門病院だが、彼は、活気にあふれた兵庫県立リハビリテーション中央病院を希望した。希望後、外来診察へ 神戸まで遠路であったが妹夫婦が送迎と付き添いを。本人も家族も疲れた様子が濃かったが、それでも、リハビリ専門病院に大きく期待し、6月 28日いよいよ入院日と決まった。 ★2016・7・10 魔法の言葉 ありがとう を添えて! |
★病院での看護って何だろう。①
★訪問後から3日目の面会、シーツに茶色くシミができ、排泄の匂いがした。「新しいシーツを一枚お貸し頂けませんか?」と理由を説明し看護師に頼んだ。「シーツ交換て大変ですよ。重たい方ですから一人では無理ですよ。」と看護師 それでも新しい敷布を手渡してくれた。患者は、寝たきり状態で、移動用に敷いたバスタオルも寝間着も3日前と同じものを着ていた。不潔臭もする。3日目だからと看護師2人が清拭に来た。蒸しタオルを胸に広げ上から下へと拭き、背中、腕と同じ手順ですませていく。そして、更衣上着だけ更衣しズボンは、排せつ介助するのに大変だからとバスタオルを掛けた。患者は、高度な技術で手術は成功し命を取り留めたが、回復期には、背中や臀部の皮膚には、赤い湿疹ができ、かゆみを訴えている。かゆみ止めが投与されたが「そんなに赤くなっていませんよ。」とそのままクリーム状の薬は、台の上に置かれた。そして、3週間も過ぎリハビリ施設に転医が決まったが、患者には、排便コントロールも関心が薄く便秘でお腹はぱんぱんになり、尿路感染が忍び寄り発熱し食欲も落ちていた。そして、看護師は、こんな状態になると褥瘡ができやすいと家族に説明をした。急性期での医師の補助業務中は、点滴、呼吸管理と看護師が輝いて見えた。が、回復期の患者を前に、看護技術てなんだろうとつくづく考えさせられた。急いで、全身を洗身し更衣し敷布交換した。関節を使うと人は簡単に横になれるし、年老いた私でも清潔ケアは一人でできる。
★感染予防や健康管理の技術も実践できるようにするには、どこで、それを教え、どうシステム化したらよいのだろうか。この前、頂いた大病院の看護サマリーも同じだ。高い看護教育てなんだろうかと・・・。何十年も看護活動をしてきながら、寂しさで胸がいっぱいになった。しかし、こんなに悲しく思うのも年のせいか知れない・・・。★2016・6・25魔法の言葉 ~ありがとう~を添えて! |
★七夕さま
|
★鳴門病院付属看護学院・在宅看護講義10回終了・ありがとう!
|