★東日本大震災から5年を迎えて・・・・。
★震災の後、半年ほどして、宮城県に゛町づくり゛と゛心のケア゛目的のボランティア活動に半年ほど参加させて頂いた。災害地に入るなり、心が゛うつ的゛となりみんな無口になった。青く澄んだ海は深く広くカモメが舞う中、木岐は黒く無残な姿をみせ、廃車の車が黒く山積みとなっているタワーが想像を絶する。その夜は、古い小学校の校舎に泊めて頂き教室で町の人々とお会いした。慰める言葉など・・何も見当たらず・・無力だと落ち込んだ・・・それでも、みんなと阿波踊りを踊って、みんなで泣きながら・・・幸せになろうと誓った。
(公)さわやか福祉財団 堀田力氏が、みんなを山形県の温泉に招待され私達も参加した。温泉は、みんなを笑顔にし 輪になって 山形音頭を踊り、温泉につかり、心が元気になって町づくりの夢を持った。★私も高校一年生の時 津波を経験した。父が叔父の保証人を。借金を背負い会社が倒産し病で倒れた。それでも、残ったわずかなお金で沖ノ洲に小さな家を建てた矢先だった。家族は、叔父の家に避難していたが、勝気だった私は、反対を押し切り家に帰ったが跡形もないほど全壊していた。それでも、瓦礫をかき分け思い出のものを探したが手にしたのは 数枚の写真だけだった。人影の無い松原で一人゛涕泣゛した。どれぐらい時間がたったのか・・「信子、家ぐらい建ててやるから泣くな!」と叔父が足元に立っていた。数枚の汚れた写真を手に叔父の家に帰った。写真は、両親と兄と姉が写った写真と両親の結婚式の写真だった。しかし、青春の経験は人に頼らず生きていきたいと心に誓い両親の反対も押切、県立中央病院の寮生活を始めた。看護学校と夜間高校と仕事と大好きなボランティア活動と多忙だったが幸せだった。数年して「どうして信ちゃんが僕の写真を持っているの?」と兄 父の倒産で大学院を諦めた兄は、その後、父の葬儀近くまで故郷に帰ることなく災害にあったことも知らなかった。写真を手渡すと「そんな話は、涙なくして聴けないね~」と。過保護で育った優しい兄には、信じられないことだっただろう。 ★2016.3.11 魔法の言葉 ありがとうを添えて !♥♥♥ |
★学生さんのレポートに感動!「尊厳」について語れる時代が訪れました。~ありがとう~
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★「ありがたいな~」と息子の名前を~
★7年の「幸せの家・ありがとう」での療養生活だった。優しい人柄は、みんなの母親的役割を担ってきた。「父さんの仏壇に 捧げた花に涙する。」と小さい時の読ん句と当時の想い出を繰り返し紹介したが、幾度お聴きしても楽しく喜びを皆で分かち合った。そして、日本の戦前、戦後の生活などよく話して聞かせた。戦前、戦後を生き抜いた強さや人々の助け合いも話題に多く、みんなと回想しては、戦中の苦労話が、何時の間にかみんなの自慢話になるから不思議です。「ふれあい活動・時間通貨ありがとう」で訪れる子供達に幾度となく話して聞かせ「こんな世の中になって、ありがたいな~」と・・・。糖尿病があり「毎朝、何も言わんでも注射をしてくれる。ありがたいな~」と。ゆっくり進む老化も、優しい子供達やそのご家族に支えられ幸せの中過ごされた。今年に入り、眠る時間が少しづつ多くなり、今は、静かな終末期を迎えられている。★早朝、息子からの電話があった。うつろな意識状態の中、「ありがたいな~」と息子の名前を呼んでいた。おだやかな眠りの中、どんな夢を見ているのだろうか。
★201.3.7 魔法の言葉 |
★3月3日は「ひな祭り」
★女の子の健やかな成長を願い、 美しいひな人形を飾って お祝いするそうです。 ★春の日本の伝統行事で素敵です。 私達の楽しみの一つです。 ★2016.3.3 魔法の言葉 ありがとう を添えて !♥♥♥ |
★NPO法人 太陽と緑の会 170号/2016 かわら版「杉浦理事長」・お便りを頂きました。
★素晴らしい活動で尊敬しています。
さわやか徳島も在宅のお住まいの方達に時々ご紹介させて頂いています。 ★さわやか徳島も活動の形は違いますが、障がいを抱えた方達の支援活動もしています。人として生まれたら、ほとんどの方達が、どこか障がいを持って生まれると考えていますが、ヘレンケラーは「生活は不自由だけど、不幸ではない。」と。高齢になり少しづつ物忘れも多く、活動や身体も不自由になりましたが、心は、反対に、自由と開放と生きてきた思いが深くなるから不思議です。人生は、素敵な方達との出会いこそ大きなプレゼントと思います。 ★2016.3.1魔法の言葉 |
★寄付文化を高めよう!!
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★独立行政法人国立病院機構 へ特別講演依頼を受けて。~ありがとう~
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