-★カーボンニュートラル社会・・・脱炭素「グリーン」・・・徳島新聞掲載
世界は今、カーボンニュートラル社会・徳島新聞記事より
・世界は今、地球温暖化について温室効果ガス排出を削減する一方で、植林などで吸収し、2050年には全体で実質ゼロに持ってゆく
カーボンニュートラル社会を目指している。
戦略は、国のCO2削減目標や、軌道変動枠組み条約のパリ協定との一貫性、業種ごとの統一を図る必要性がある。産業省は、鉄銅、セメント、電力、ガスなど10分野について移行のための技術ロードマップを策定している。
・・・文面は続くが、最後に技術大国の日本だからこそ、・・・30年を迎えた時に海外からあっと驚かれるほどの削減実績を積み上げていけるよう願ってやまない。とあり、心を温かくした。 💛頑張れニッポン!!
 2022・4・1 魔法の言葉~ありがとう~を添えて!!8144
★ロッキード事件 時代の追及者 ・・・鬼から福祉へ・堀田 力 氏・・読売新聞・時代の証言者・4/13
ロッキード事件 追及 クリックして下さい・活字が拡大します。
ロッキード事件とは何だったのか
 政治家が権力を託した国民への裏切りで、その犯罪は追及されなければならない。検事としての仕事をする上で、結果的に私にとって最高の舞台となつたのがロッキード事件と言えます。
民主的に選ばれた国の代表を逮捕することは、国民の意思への挑戦や否定につながるのではないかと悩みました。でも、「しえき一部の人のためでなく、公益、みんなの為に働く」という政治家の基本要件を逸脱したのだからと割り切りました。
 逮捕された元首相の田中角栄さんは類いまれな政治力を持つ、人間的に非常に魅力のある政治家でした。地元の人のためになるならば汚職も政治資源の一つじゃないかと考えていた。一方国民の側にも、あれだけ国のために働いているのだから、ある程度懐にいれるのは仕方ないと考える風潮が、戦後にも一部残っていた。
 日本社会の遅れたところを反映した、人間や社会について深く考えさせる複雑な事件でした。
 とわいえ、この事件は過去の歴史ではなく、今に通じる事件です。
 優れた政治家やリーダーが自分の思う通りに国を引っ張って7いこうとする時、権力の行使の方向性も見定めず、ただ、その人に任せておけば大丈夫だと信じ込んでしまう国民がいる。強力なリーダーに頼りすぎると危険なことは、権威主義と民主主義の国家の対立が深まる今の世界情勢を見れば明らかです。
 個々の住民が自分たちの手で楽しく暮らせる社会を築かなれければいけないのに、本当の意味での民主主義、いい意味での個人主義が十分に育っていない・・・・。
 偉そうなことを言ってしまいました。
 もちろん、日本国民の優れたところはたくさんあって、金や不正に対する清潔感は世界のトップクラスです。
 ロッキード事件の捜査の際も、真実を求める国民の声が大きな後押しになりました。
 政治家や関係者を逮捕したけれど、政治の深い闇、真の巨悪は解明できていないんじゃないかといわれれば、その通り。
 私自身、忸怩たる思いがあります。ただ、当時はあれが精いっぱい。政治と金の動きを検察が全部解明するのは無理で、やはり政治資金規正法で抜け道をなくし、お金の動きを国民によく見えるようにすることが重要です。
 ロッキード事件を受けた法改正で、大ザルが中ザルぐらいにはなったと思うけど、今でも穴は残ったまま。
 規正法で自主的に正すのが筋ですが、捜査でしか解明できない部分もあり、まだ道遠しです。゛弁護士゛
・堀田 力氏・・・悪いことをした方は別ですが、堀田先生とお会いした方達は、これほど優しい方はないと!! 思ったでしょう!!
堀田氏は、この後、ボランティア活動とは何かについて、(公)さわやか福祉財団・理事長として、全国で講演し、多くのリーダーを育成している。私も講演を拝聴した後、役場の保健師を退職し、小さなボランティア団体をスタートさせた。その後、インストラクターとして、育成して頂き、全国での活動も学び、仲間もできた。全国のボランティア活動のリーダーとの出会いや時と場は、多くの仲間の人生を変えるものだった。堀田氏は、日本のボランティア活動の意識を大きく変革したと言って過言では無い。素晴らしい方の出会いは、人生を変える!! 誰かの為に役立つ活動をすることは、自分自身の素晴らしい人生を過ごすことになることも教わった。公務員研修会の講演を拝聴して、自分の保健師としての活動に疑問を。退職し、すぐ、研修を申し込んだ。教わった活動は、「人としての尊厳を守る」ことで、そのことが、自分自身の尊厳を守り、幸せな人生を過ごすことになることもだった。

2022・4・17 ~ありがとう~の魔法の言葉を添えて!!
 
★核心・評論・・徳島新聞記事

この記事とは、全く関係の無い事だが、終戦間もなく生まれた私は、戦争は知らないが、戦後の日本のみじめさは、少し記憶に残っている。近くに住む友達は、戦争で父を失って、母親と二人暮らしとのことだったが、戦火で家を焼かれ、親族の家の牛小屋の古屋で暮らしていた。
 部屋の家具は、果物箱が一あり、その箱の前には、小さな座布団が置かれ、箱は、きれいな包装紙で丁寧に貼られていた。
 小学校2年生の私にも、母親の愛情が伝わって、羨ましかったことを、今でも覚えている。
 そして、戦後の食糧難の時代に、夕げに来た娘の友に、「お麦のご飯だけど、食べて行かない?」と、焚きたての麦ごはんに、塩をかけて、食べさせて頂いた。
 3人で、並んで食べたが、麦の香ばしいにおいと、母親の優しさに、羨ましかった。
 戦後直後の物のない時代に、よそで食事を頂くことなど、今考えると、とんでもない事だったが、その「愛情飯」のおいしさは、今でも忘れたことが無い。また、母親の愛情に包まれて育つ友人がうらやましかったことを今でも覚えている。
 食事を頂いて帰った娘を母は、きつく叱っり、翌日、何か包みを持ちお礼に行ったが・・。母親の愛情が伝わlり、羨ましかったことを母は、知らない・・・・。
 2022・4・1 ~ありがとう~の魔法の言葉を添えて!!
★健康寿命・・・ご存じのとうり、健康上問題なく、日常性格が遅れる期間のことですが・・・

2021年、厚生労働省が発表したデーターでは、健康寿命・男性72.7歳・女性75、4歳でしたとありますが、平均寿命との差は、男性8,7歳、女性12、1年あり、女性は、不健康で12年近くも暮らすことになるようです。
さわやか徳島は、夜間当直を二人、早出も二人で活動をしていますが、その早出勤務がフレイル予防(年を重ねて、心身機能が低下しまった状態のこと)
フレイクとは、年を重ねて、心身の機能が低下してしまった状態のことですが、究極の口腔トレーニングと虫歯や歯周病に注意とあります。
オーラルフレイルを見過ごさない。・・・食べる楽しみや自由な買い物・食事や人との交流
・固いものが食べにくくなった。
・お茶や汁物でむせることがある。
・食べこぼす。
・滑舌が悪くなった。
・口が乾くようになった。
オーロラフレイルの加速・・虫歯や歯周病は、歯を失うことにつながり、オーラルフレイルを加速させてしまう。
こうして、私も健康で活動できるのも、歯磨きと歯ごたえのある食事、また、息子や孫と暮らし、食事も、幸せの家・ありがとうの管理栄養士や調理師の方達の自慢の料理をいつも、全量摂取していること。幸せの家・ありがとうを建てた時は、高齢者の方達の為と考え建てた居場所が、今、自分が最期まで暮らせる家に住まいし、活動を続けていることに感謝でいっぱい!!
です。支えて頂いている皆様のお陰です。
朝は、食事の準備と介助、また、車いす移動など。また、一緒に、食事をして、毎日の洗身、朝夕の着替などの清潔ケアの後は、朝食とコーヒタイム
などなど。生活を整えることで、殆どの生活の問題行動は、軽減され、優しさや行き届いたケアで、幸せな暮らしを支えることで、心の健康は、回復する。
 心の健康を取り戻すと、幸せな日々を!! 
 人は、年を重ねることで、終末期は、自然な死が約束されると考えています。
2022・3・13 ~ありがとうの魔法の言葉を添えて!!
★カーボンニュートラル社会・・・脱炭素「グリーン」・・・2022年の論点・徳島新聞&文藝から抜粋文  秋より
2050年カーボンニュートラル(co2排泄実質ゼロ)時代がくるのでしょうか。
・EUは、2035年までのガソリン車の新車発売禁止に踏み切ったほか、炭素含量の多い輸入品に対する[国境炭素税]の準備を始めている。
日本の生き残る道・・・日本も5月に改正地球温暖化対策推進法が可決された。
今後、日本からどれだけグリーン・ジャイアントが登場するかの試金石の年となりそうだ。(文芸春秋・・・オピニオン・2020・論点より)
日本でも、2020年 当時の菅首相が、2020年に2025年までのカーボンニュートラル
を宣言した。・・・日本の生き残る道・ESG投資(環境・社会・企業統治)など。

2022・3・13 ~ありがとう~の魔法の言葉を添えて!! 913
★② あなたは、作成していますか?~終末期医療など含めた自己決定書 ②
・終末期の自己決定書が、少し手直しされて届いた。
お互いに、高齢となったが、彼女は、いつも生き生きとして活動を続けている。
コロナ渦で、月一度程していた、終末ケアの勉強会がお休みとなったが、こうして、最期まで自己決定の中で生きていきたいと準備を。
・ご入居の方達も、自然な最期を望まれたご家族がご入居を希望されいらしているが、自然な死は穏やかで静かだ。
・昔、酸素吸入や心臓マッサージなどが、当たり前だった時代
・全身が腫れるほどの点滴をしていた時代など・・・。
死への文化が高まるまでの医療や福祉は、悲しいものがあるが、医療従事者は、人が死ぬことが、敗北の様に考た時代かも知れない。
・私は、助産師としては、お産の取り上げたは、実習時の10例だけだが、真っ赤な赤ちゃんと元気な産声に命の強さに感動した。しかし、活動は、新生児も高齢者も相談やアドバイスをさして頂ける保健師の道を選択した。
・そうした中、看護活動は、今なお、生きがいとして活動をさせて頂いているが、自分自身が終末を迎える年齢となり、具体的な終末ケアのお願いを見直すことが大切になった。
・死への文化は、自然な死へと。そして、静かな死期へと希望することは、誰しも望むことかも知れない。
 
 

2022・3・10 ~ありがとう~の魔法の言葉を添えて!! 
★島田 裕己氏の本より引用すれば・・。そして、思い出の中で・・・。
一直線に悟りの世界に行き着くことを「直道」と言うとあり、「じきどう」と読むと掲載されている。
多くは、故人が亡くなった後、直接火葬場に運び、近親者だけで見送ることが、多くなったとこの本に掲載されている。近親者以外の会葬者を呼ばないとある。
・・・しかし、尊敬していた知人の一人もそのことを願って遺言を書き、亡くなられたが、
 生前、書き記した゛手紙゛に、直葬との願いを書いていた。が、希望に反し、それは、盛大なご葬儀だった。
 生前の業績は、それは、素晴らしい活動で、徳島県立の保健師・助産師科のトップとして、多くの保健師や助産師・看護師を育てた方でした。
 私も、その頃、県立中央病院の付属の専門学校として開校していた、保健師、助産師専門学校を卒業しましたが、卒後も、活動の場に来所されては、新しい看護のお話など話し合い先生とは、楽しい時間を過ごしました。
 また、先生が進めて下さった、公務員としての保健師業務も早期退職し、施設を開所した私を「ここが私の終末ケアの場です。」と、先生自身の終末期は、ここで過ごしたいとのお話に、ぜひ、穏やかな看取りを・・・。と心していました。
 しかし、その後、先生は、癌末期と告知されましたが、その時代の抗がん剤は、効く薬も無く、薬の副作用で、苦しみの中、亡くなることも多い時代でした。
 そして、何度も緩和ケアの中で過ごされる様に話し合いました。その頃は、痛み止めなどのモルヒネも悪い薬などと、考えられていた時代でした。
 先生とは、癌性疼痛の中で過ごされる事などで、話し合いましたが・・・・。
 しかし、自己決定の中、抗がん剤の副作用に苦しみ、終末期を過ごされました。
 そんな中でも、最後に、葬儀をしないと書き記した手紙も頂きましたが、先生の遺言とは違って、盛大な葬儀が行われました。
 葬儀の3日前、一枚の懐かしい字体のはがきが届いていて、元気に活動を願っています。と、優しい言葉に添えられていて、そのお別れの挨拶状に、「葬儀は、しないので、よろしくね。」と書き記してあった。
 しかし、はがきを頂いた、次の日に、抗がん剤の点滴中、心停止を。「がん治療は、こんなに苦しいのね」と、最後の言葉だつたと、ご家族からお話しをお聴きして、初めて、入院して治療をされていたことに驚いた。
 葬儀の帰り、偶然、出会った、看護教育の教授との出会いがあった。
 宮城先生に出会って、看護の基礎を学び、そして、宮城先生の友人だった、素晴らしい教育者に出会い、不思議なご縁が続くことになった。

素晴らしい方は、また、素晴らしい方とつながっていて、その後、看護面やまた、人としても、素晴らしい教えを山の様に頂いた。
 人生は、こうした素晴らしい方達との出会いがあり、素敵だと思うが、気が付けば、長い人生の終わりが近づいている。
 私も、誰かの思い出につながる様な素敵な生き方をしたいと考える時もあったが、今は、小さな幸せを大切に゛幸せの家・ありがとう゛で、出会いのあった方達と、暮らしています。2022・2・25 
~ありがとう~の魔法の言葉を添えて!!