★坂村 真民 ・・・人生の詩、一念の言葉
その刻々           
 昇った日は
 沈まねばならぬ
 
咲いた花は
 散らねばならぬ
 生まれた者は
 死なねばならぬ
 これは自然の法則である
 だから悲しむこと
 大切なのはその刻々を
 どう生かして来たかにある

 尊いもの  一途なる歩み    
 光るもの   一途なる姿

2021.9.6 魔法の言葉~ありがとう~ を 添えて!!    
  💛 💛 💛
★★坂村 真民 ・・・すべては光る・・・
★光る
 光る
 すべては
 光る
 光らないものは
 ひとつとしてない
 みずから 光らないものは 他から光を受けて光る


2021.9.6 
魔法の言葉 ~ありがとう~ を 添えて!!
    
  💛 💛 💛
★坂村 真民 ・ 一日一言 ・・・人生の詩、一念の言葉 より







祈り            
 祈りは、最高の実践
 天に祈ろう   地に祈ろう           
      
     老い込んでは駄目
        心が老い込こんだら
          体も老い込んでしまう
              詩人は常に 
                新月のようにあれ


大切なのは  かってでもない
 これからでもない
一呼吸 一呼吸の今である 
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2021.9.5  魔法の言葉   ~ありがとう~ を 添えて!!    
 💛 💛 💛
★不思議な方達ともお会いしたーーーーことがある。
10年ほど前のこと。
このホームページにも書き込んだことがあるが、怪しい車が数日、施設の入口付近に車を止め、中をうかがっている。ナンバーを調べようと近くに行くと、あわてて走り去ったが、車のナンバーは書き留めた。
 私を見て、騙せると思うったのか数日後の夜、「…助けてくれ、ケガをしている・・・」と息子の名前を語る詐欺者からの電話だった。演技はなかなかのものだったが「そう言うあなたは、誰ですか?」と答えてしまい、警察への連絡に結びつかなかった。かかってきた電話番号は、事務所の電話に掲載されているので調べることにした。
また、大阪の業者と名乗る男性が、玄関カメラやコピー機を売りたいと4名もの男性が、毎日の様に来た。3日目は、私が担当者としてお話を伺うことにしたが「年いた女だから、うまく話を詰めよう」と、仲間と相談しているのを聴き、失礼な悪徳業者だと驚いた。
彼たちの話では、カメラを敷地の入口に設置して、怪しい人がと入っくると、チェックができる様にと。カメラ設置は、一台100万円と説明した。
・「そのカメラを24時間、観察する人がいりますね」と尋ねると「特に夜間は必要」と真顔で説明した。
・そして、そのカメラは、一台100万円で、毎月管理料金は、別途と真面目な表情で説明した。でも、泥棒のほとんどは、裏から侵入しないかと尋ねてみると、裏にも同じカメラを付けましょうと、今度も真顔で説明し、建物の横からからの侵入はどうするの?と尋ねると、進入時の戦い方を教えると話した。
・きちんとした背広を着た4人もの男性が来て、その中でも一番若いハンサムな男性が中心に話を進める役だった。つまらない話だが、なかなか多弁で、きちんとした背広姿だった。
 しかし、詐欺師にしては、程度の低い話で、賊が侵入すれば戦い方を教えると言うので、人の急所を尋ねると「・・・・」突然無口になり・・・目をそらした。・打ち合わせに無いシナリヲだったのかも知れないと、・・・案外、正直なのだとも・・・。
忙しいので、いつまでも相手もできないので、話を打ち切ることにして、この建物内には、何か所か警報装置があることや非常ベルなどの事を話し、夜間の安全対策は、整っていること。また、特に夜間は、安全の為の施錠は、複数として、当直者の訓練もできていることと、また、盗難者が期待するものは、この建物内には何も無いことも説明した。
また、扉の下に行くと電気が付き、カメラから確認もできることを説明し丁寧にお断りした。
そして、あなた方の説明で、実際に設置している施設があるか尋ねると、それには答えず帰られたが、昔は、こんな不思議な方達にもお会いしたことがあった。
2021.8.6  魔法の言葉   ~ありがとう~ を 添えて!!
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-★生死を分ける瞬間・・・・生かされた命
★人生には、何度か死を迎える瞬間があった。私は、子供の頃、水死の事故を、2度経験している。一度は、小学校6年生の時、徳島市内から鳴門海岸まで自転車に乗り一人で泳ぎに行った。海岸は、水泳の禁止区域と旗印があったが、当時、泳げる範囲は、少なかったので、沢山の家族ずれが、泳ぎに来ていた。
 一人で泳いでいる内に、少しづつ禁止区域に流されていたが、気がつかず、気づいた時には、すでに、状況は厳しく、大きな渦にのまれ、一瞬で、沖に流されていた。
 あっという間に、海岸の人々は、蟻の様に小さく見え、自分が溺れて沖に流されていることに気が付いた。死ぬのだと思ったが、苦しさは感じなかった。
 その事を考えてみると、おぼれ水死する時は、意識レベルが低下し、苦しくないのだろか・・・と・・・。いつも、自分の体験を思い出す。
 そして、また、意識を失ったのか、気がつけば、見たこともない海岸に沿った、山ぎわに、打ち上げられていた。とにかく、人や家が見えるところにと、崖に這い上がり、山に沿って海岸沿いに移動した。小さな山すそを回ると、泳いでいた海辺にたどり着き、やっとの思いで、家路についた。
 今も、海岸の人々が、一瞬にして、蟻の様に見えた光景は、目に焼き付いている。
 また、もう一度は、まだ、私が小学校の3年生の時、小さい妹をつれて、吉野川の堤防を降り、川に沿った水際で妹と二人で、両足をつけて遊んでいた。
 その内、少し川の浅瀬で遊びたいと、川の中を歩きだすと急に深まりへと転落して溺れかけた。妹の顔が見えたが、水を飲み込み声さえ出せなかった。
 そんな中、それでも、私が溺れたら、妹もこの川で死ぬことになると・・・と。
そんな事を考えながら、必死で、もがいてみたものの・・でも、泳げない・・が、その時、自分の身体が浮いていることに気が付き、ゆっくり前に両手をだすと、体がふぁ~と水の中で浮きあがった。そして、両手で、犬の様に水をかき分けてみると前に進み、少しづつ岸にたどり着き、命拾いをした。これが、初めて泳ぎができるようになった瞬間だった。
それ以降、吉野川で遊ぶのをやめたが、そのことは、誰もに言わず黙っていた。
 しかし、不思議なもので、最近、昔の体験が夢の中に出てきて、その時の状況が、映像の様に頭の中を流れる。
長い人生の中、水中で、溺れる経験は、2度程だったが、活発だった私は、何度も子供の頃、遊びの中で、危険な事を経験した。
 そんな、ある日の夜、「この子は、大人になるまで生きて育てられない」と、母親が泣きながら父の前で両手をついて、話しているのを眠ったふりをしながら聴いていた。
 父は「子供の頃は、いろんなことをして遊ぶ。子供を守るのが、親の責任だから、しっかり教え守って育てるよう」と、母を叱っていた。
 母にしたら、私は、手に負えない子供だったらしいが、父は、子供は、強くて活発なほど良いと何時も私を褒めた。
  
2021.7.31  魔法の言葉   ~ありがとう~ を 添えて!!75692
★終末を迎える時

棚の整理をしていたら、東京で暮らしていた兄の手帳を見つけ、・・・東京で死ぬこと・・・と、兄の死期をこのホームページで、書き込みをしたことを思い出した。
自分で自己ケアが難しくなった時、誰にどのようにしてもらいたいと希望を書き留めることは、大切なと思ったり・・・
兄の手帳には、学校などの講義に出かけていたのか、講義の時間表や電車の時刻表などが記され、その他に、自分の住所や妻と息子の名前や麻野 信子などの姉妹の連絡先などが、丁寧に記載されていた。
お陰で、兄は、この手帳を持っていたことで、遠く離れた、徳島に連絡をもらうことが出来た。
 年上の妻は、虚弱となり、一人息子は、別居していて、不安だったのだろうか・・・。
 しかし、そのことで、希望通り、故郷の徳島に帰り永眠したが、帰りの道中は、子供の様に楽しそうに道中の名所の案内をした。
 数日しか暮らせなかった徳島への旅路、子供の頃の騎馬戦など の話を楽しそうに聴かせたその数日後、大好きなコーヒを飲み「美味しいね~」とほほ笑んだ顔がそのまま停止した。
 そして、不思議なことに、兄の身体が、白い霧のようなものに包まれた気がして驚いた。 
 永眠し微笑んだ顔は、神童と言われていたころの父の自慢話を思い出させた。
死後、分骨して、一部は、父や母と共に、記念碑に収まった。
身体的には、重症だったが、最後まで、心は健康で楽しそうに話した兄・・・父の生前に、兄は、自分の本を両親に見せたいと持ち帰ったが「人に分かる本を書け!」と、学問の浅い父は、叱りつけた。しかし、父は、その本を、死ぬまで大切に手元に残していた。
生きた証としての記念碑に、息子と共に眠る両親は、幸せだろうと心を熱くした。
2021.7.30  魔法の言葉   ~ありがとう~ を 添えて!!