★坂村 真民 ・・・人生の詩、一念の言葉
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★★坂村 真民 ・・・すべては光る・・・
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★坂村 真民 ・ 一日一言 ・・・人生の詩、一念の言葉 より
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★不思議な方達ともお会いしたーーーーことがある。
★10年ほど前のこと。
このホームページにも書き込んだことがあるが、怪しい車が数日、施設の入口付近に車を止め、中をうかがっている。ナンバーを調べようと近くに行くと、あわてて走り去ったが、車のナンバーは書き留めた。 私を見て、騙せると思うったのか数日後の夜、「…助けてくれ、ケガをしている・・・」と息子の名前を語る詐欺者からの電話だった。演技はなかなかのものだったが「そう言うあなたは、誰ですか?」と答えてしまい、警察への連絡に結びつかなかった。かかってきた電話番号は、事務所の電話に掲載されているので調べることにした。 ★また、大阪の業者と名乗る男性が、玄関カメラやコピー機を売りたいと4名もの男性が、毎日の様に来た。3日目は、私が担当者としてお話を伺うことにしたが「年いた女だから、うまく話を詰めよう」と、仲間と相談しているのを聴き、失礼な悪徳業者だと驚いた。 ★彼たちの話では、カメラを敷地の入口に設置して、怪しい人がと入っくると、チェックができる様にと。カメラ設置は、一台100万円と説明した。 ・「そのカメラを24時間、観察する人がいりますね」と尋ねると「特に夜間は必要」と真顔で説明した。 ・そして、そのカメラは、一台100万円で、毎月管理料金は、別途と真面目な表情で説明した。でも、泥棒のほとんどは、裏から侵入しないかと尋ねてみると、裏にも同じカメラを付けましょうと、今度も真顔で説明し、建物の横からからの侵入はどうするの?と尋ねると、進入時の戦い方を教えると話した。 ・きちんとした背広を着た4人もの男性が来て、その中でも一番若いハンサムな男性が中心に話を進める役だった。つまらない話だが、なかなか多弁で、きちんとした背広姿だった。 しかし、詐欺師にしては、程度の低い話で、賊が侵入すれば戦い方を教えると言うので、人の急所を尋ねると「・・・・」突然無口になり・・・目をそらした。・打ち合わせに無いシナリヲだったのかも知れないと、・・・案外、正直なのだとも・・・。 忙しいので、いつまでも相手もできないので、話を打ち切ることにして、この建物内には、何か所か警報装置があることや非常ベルなどの事を話し、夜間の安全対策は、整っていること。また、特に夜間は、安全の為の施錠は、複数として、当直者の訓練もできていることと、また、盗難者が期待するものは、この建物内には何も無いことも説明した。 ★また、扉の下に行くと電気が付き、カメラから確認もできることを説明し丁寧にお断りした。 ★そして、あなた方の説明で、実際に設置している施設があるか尋ねると、それには答えず帰られたが、昔は、こんな不思議な方達にもお会いしたことがあった。 2021.8.6 魔法の言葉 ~ありがとう~ を 添えて!!5788 |
-★生死を分ける瞬間・・・・生かされた命
★人生には、何度か死を迎える瞬間があった。私は、子供の頃、水死の事故を、2度経験している。一度は、小学校6年生の時、徳島市内から鳴門海岸まで自転車に乗り一人で泳ぎに行った。海岸は、水泳の禁止区域と旗印があったが、当時、泳げる範囲は、少なかったので、沢山の家族ずれが、泳ぎに来ていた。
一人で泳いでいる内に、少しづつ禁止区域に流されていたが、気がつかず、気づいた時には、すでに、状況は厳しく、大きな渦にのまれ、一瞬で、沖に流されていた。 あっという間に、海岸の人々は、蟻の様に小さく見え、自分が溺れて沖に流されていることに気が付いた。死ぬのだと思ったが、苦しさは感じなかった。 その事を考えてみると、おぼれ水死する時は、意識レベルが低下し、苦しくないのだろか・・・と・・・。いつも、自分の体験を思い出す。 そして、また、意識を失ったのか、気がつけば、見たこともない海岸に沿った、山ぎわに、打ち上げられていた。とにかく、人や家が見えるところにと、崖に這い上がり、山に沿って海岸沿いに移動した。小さな山すそを回ると、泳いでいた海辺にたどり着き、やっとの思いで、家路についた。 今も、海岸の人々が、一瞬にして、蟻の様に見えた光景は、目に焼き付いている。 ★また、もう一度は、まだ、私が小学校の3年生の時、小さい妹をつれて、吉野川の堤防を降り、川に沿った水際で妹と二人で、両足をつけて遊んでいた。 その内、少し川の浅瀬で遊びたいと、川の中を歩きだすと急に深まりへと転落して溺れかけた。妹の顔が見えたが、水を飲み込み声さえ出せなかった。 そんな中、それでも、私が溺れたら、妹もこの川で死ぬことになると・・・と。 そんな事を考えながら、必死で、もがいてみたものの・・でも、泳げない・・が、その時、自分の身体が浮いていることに気が付き、ゆっくり前に両手をだすと、体がふぁ~と水の中で浮きあがった。そして、両手で、犬の様に水をかき分けてみると前に進み、少しづつ岸にたどり着き、命拾いをした。これが、初めて泳ぎができるようになった瞬間だった。 それ以降、吉野川で遊ぶのをやめたが、そのことは、誰もに言わず黙っていた。 しかし、不思議なもので、最近、昔の体験が夢の中に出てきて、その時の状況が、映像の様に頭の中を流れる。 ★長い人生の中、水中で、溺れる経験は、2度程だったが、活発だった私は、何度も子供の頃、遊びの中で、危険な事を経験した。 そんな、ある日の夜、「この子は、大人になるまで生きて育てられない」と、母親が泣きながら父の前で両手をついて、話しているのを眠ったふりをしながら聴いていた。 父は「子供の頃は、いろんなことをして遊ぶ。子供を守るのが、親の責任だから、しっかり教え守って育てるよう」と、母を叱っていた。 母にしたら、私は、手に負えない子供だったらしいが、父は、子供は、強くて活発なほど良いと何時も私を褒めた。 2021.7.31 魔法の言葉 ~ありがとう~ を 添えて!!75692 |
★終末を迎える時
★棚の整理をしていたら、東京で暮らしていた兄の手帳を見つけ、・・・東京で死ぬこと・・・と、兄の死期をこのホームページで、書き込みをしたことを思い出した。 ★自分で自己ケアが難しくなった時、誰にどのようにしてもらいたいと希望を書き留めることは、大切なと思ったり・・・ ★兄の手帳には、学校などの講義に出かけていたのか、講義の時間表や電車の時刻表などが記され、その他に、自分の住所や妻と息子の名前や麻野 信子などの姉妹の連絡先などが、丁寧に記載されていた。 お陰で、兄は、この手帳を持っていたことで、遠く離れた、徳島に連絡をもらうことが出来た。 年上の妻は、虚弱となり、一人息子は、別居していて、不安だったのだろうか・・・。 しかし、そのことで、希望通り、故郷の徳島に帰り永眠したが、帰りの道中は、子供の様に楽しそうに道中の名所の案内をした。 数日しか暮らせなかった徳島への旅路、子供の頃の騎馬戦など の話を楽しそうに聴かせたその数日後、大好きなコーヒを飲み「美味しいね~」とほほ笑んだ顔がそのまま停止した。 そして、不思議なことに、兄の身体が、白い霧のようなものに包まれた気がして驚いた。 永眠し微笑んだ顔は、神童と言われていたころの父の自慢話を思い出させた。 ★死後、分骨して、一部は、父や母と共に、記念碑に収まった。 身体的には、重症だったが、最後まで、心は健康で楽しそうに話した兄・・・父の生前に、兄は、自分の本を両親に見せたいと持ち帰ったが「人に分かる本を書け!」と、学問の浅い父は、叱りつけた。しかし、父は、その本を、死ぬまで大切に手元に残していた。 ★生きた証としての記念碑に、息子と共に眠る両親は、幸せだろうと心を熱くした。 2021.7.30 魔法の言葉 ~ありがとう~ を 添えて!! |
-★穏やかな老後を! 皆様 お元気で過ごされております。ご安心下さい。
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