以前の活動日誌
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  以前のお知らせ
   2008~2012年

活動日誌とお知らせ 

★今年も、皆様には、いろいろお世話になりありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。








看護活動は、県立中央病院から始まり、光洋精工保健室へと転職し、その後、結婚し、しばらく育児で家庭に入り、33歳まで、子育てを中心に主婦業をしていましたが、子供達も大きくなり、看護職として、復帰したいと、県立中央病院の保健師、助産師学校へと入学しました。
 再復帰の職場は、非常に厳しいものでしたが、地域保健が、看護大学や専門学校に教科として入ったため、多くの大学や専門学校から講義への依頼があり、傍ら、在宅訪問看護活動と、全国的に時間通貨などの講義依頼もあり、多忙となった為、役場を辞めて、小さな居場所として、幸せの家・ありがとうを開所した。その後、精神保健福祉士の資格が、日本にでき、ケアマネの資格などと一緒に取得しましたが、いろんな資格試験は、自分自身の活動への知識や経験を試す一つとなり、うれしい出来事でした。
 そんな折、(公)さわやか福祉法人 堀田 力 氏の講演を拝聴し、大きな夢を抱いて、すぐ、役場保健師を退職し、小さな地域の居場所を開設、非営利法人・さわやか徳島をスタートさせたのです。
 そして、仲間づくりと地域活動と大学などの地域保健の講義など、また、さわやか福祉財団のインストラクターとして、全国的に活動をさせて頂き、はっきりした生きがい活動を見つけることが出来ました。
 また、この時代、新しい福祉社会と題した、堀田 力氏のご講演は、全国の多くの仲間がボランティア団体とし「優しい町づくり活動」に立ち上がったのです。
 その活動は、ボランティア活動とドッキングした活動へと、市民参加型の新しい福祉社会の到来でした。堀田 力 氏のもとで、全国の多くの心ある仲間が連携し「夢」と「心」を
!!
 私達の活動は、小さな福祉社会への担い手としての、新しい夢をもった、福祉活動への再々のスタートだったのです。
 その小さな活動は、さわやか福祉財団のインストラクターとしても、全国的に、活動を。(写真は、藍住南幼稚園の園児たちのふれあい活動・さわやか徳島の地域の居場所・子供たちの活動は、私達高齢者に大きな幸せをプレゼント!!)
 こうして、非営利活動のNPO法人、さわやか徳島は、心ある優しい沢山の仲間に支えて頂いて、さわやか福祉財団のインストラクターとして、新しい福祉社会へと市民活動を起こし、多くの仲間づくりを!!することができました。活動に、過ぎ去る年月も忘れていましたが、こうして、素晴らしい新年を迎え、皆様と共に、担い手から、受け手と幸せづくりを続けて参ります。 今後とも、心暖かい町づくり活動を皆様と共に進めて参ります。
 新しい年も、変わらぬ、ご支援、ご指導をよろしくお願い申し上げます。

 皆様に、心よりお礼を申し上げます。
2023・12・31・魔法の言葉~ありがとう~を添えて!
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★ 暖かな日差しのなか、クリスマス会を開催・幸せな時間をありがとう!!

2023・12・25魔法の言葉~ありがとう~を添えて! 
★ ハーモニカ演奏での合唱!!クリスマス会を開催・幸せな時間をありがとう!!

2023・12・25・魔法の言葉~ありがとう~を添えて!
★ ハーモニカ演奏での合唱!!クリスマス会を開催・幸せな時間をありがとう!!

2023・12・25・魔法の言葉~ありがとう~を添えて!
★入居ご希望の方・募集しています。よろしくお願い申し上げます。健やかな日々を!!応援します。
老いること
老いることが
   こんなに美しいとは知らなかった
 老いることは
   天に近くなること
 花のように
   地に近くなること
 しだれ柳のように
   自然に頭のさがること
 老いることが
   こんなに楽しいとは知らなかった  坂村 真民  ・詩集より

写真
は、幸せの家・ありがとうの入居施設前の銀杏です。素敵です。
2023・12・4
・魔法の言葉~ありがとう~を添えて
!
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★★ふれあい活動・・藍住西幼稚園の園児の皆様&先生&園長先生・・皆様・ありがとう💛


2023.11.24
・ 元気いっぱいのダンス!手づくりの素敵なプレゼント、とても、素敵です !!
★他界したお姉さんに寄せて・・・。永久の国に旅立った博子姉さんへ。
お姉さん、そちらで、父や母、兄さんとも会いましたか?
 4歳違いだった姉さんは、何時もどこへ出かけるのも妹の私を連れていってくれました。
 何時も強そうにふるまっていたけど、本当は、気が弱く優しい世話好きな博子姉さん。長い間、地元の銀行に勤め、日直は、何時も、私を連れて出勤し、残業などで夜遅くなると、夜道が怖いと妹の私が迎えに行きました。
 結婚も他家に嫁ぐのは嫌だと、優しい義兄は多田姓をついで、私達と一緒に暮らしてくれました。
  
今、義兄さんは、毎日、幸せの家に来てくれています。優しい、息子夫婦と私達家族が共に支えあい暮らしています。心配しないでね。

私が、麻野と結婚して、藍住町に家を建てると両親と姉夫婦が、藍住に移り住み、銀行の勤めも藍住支店へと移動した姉さん。
驚きましたが兎に角、何時も一緒にいた姉妹でした。

そして、姉は、終末期になった最期の数日は、幸せの家で一緒に暮らしてくれました。気の弱い姉は、最期まで、私の前では、強い振りをして見せて・・・。
でも、考えてみると、死期を目前にして、妹に、あんなに強がって見せるとは・・・。
姉さんは、とっても優しいけど、本当は、忍耐強く、強い人でした。
 両親も姉も兄も、深い言い知れない寂しさは残るけれど、最期を看取れた幸せは、心から、深い感謝を!!しています。
そして、
つくづく、人生は、とても不思議なものだと・・・。
・こうして、確たる宗教を持たない私ですが゛どうか安らかであれ゛と、念じています。
・また、必ず会える日を待っていてください。
 
 ~魔法の言葉゛ありがとう゛~添えて!!
写真は、神戸駅前で、数十年前、姉と二人で写した懐かしい写真です。
★鳴門病院・看護専門学校の実習生 素敵な学生さん達  ありがとう!!


2023.11.17 若いパワーをいっぱいいただきました !!