★相田 みつを 詩集より
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★高齢になること。
☆高齢になっても、元気なうちは、社会活動をして行きたいと願っている。また、心は、いつまでも青春だが、周囲は、そうは行かない。
・人生の先輩として、尊敬し人権を大切にしたいと、長年の生きがい活動は、「尊厳へのケア」 ・自分が高齢になり、若い方達の優しさを、より深く感じる気がするが、社会では、反対に、高齢者はを弱者ととらえ、厳しい若者もいるらしく、ますます、高齢率が高くなる日本で、人の尊厳を考える教育がとても、重要と考えます。 ・さわやか徳島も、コロナ感染で、地域の方達と一緒に勉強会をしていましたが、一時、中止しています。再スタートの日程は、決まっていませんが、福祉・医療分野の質的確保や向上には、共に話し合い、心を新たにすることが重要と考えます。 ・人を大切にすることは、自分の人生を大切にすることとも考えています。 ・高齢になって、分かるこも沢山あり、ぜひ、実践の場で、看護や介護につなげたいと考えていますが、若い方は、伝えやすいが、高齢者には、それぞれが、長年の暮らしてきたプライドなのか、昨日も大きな声で制止され、定年制もつくづく必要と、改めて考えさせられたことがあった。定年制度は、ある意味では、必要だったのだと・・・。 2023・5・13・魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★兄の永眠も・・・
☆ずいぶん以前の話になるが、兄が病気と連絡あり、兄の住む東京へ。
兄は、故郷に帰りたいとの希望だった。 ・東京大学を合格した時゛さくら咲いた゛との電報を胸に大喜びしていた父 ・卒後数年して、一冊の本を父の前に・「僕の初めての本を出版できました。」と、正座して父親に差し出した兄 ・突然、本を手にした父は、「こんな解らない本を!!」と・・・。 ・英語の読めない父と、東京大学受験用の問題集だった。 ・泣きそうな兄と父・・・その後、兄は、死去する少し前まで、故郷には、帰らなかった。 死期がおってから、兄は、故郷の徳島に帰りたいと・・・車で付き添い徳島に帰った。 「幸せの家・ありがとう」から見える眉山に、涙を浮かべていた。 ・姉が家を継いだが、医療職の道を選んだ私は、幸せな事に、両親も兄も姉も看取りをさせてもらった。 ・看取りは、寂しくて、悲しいことだが・・・それでも、愛した人の看取りができることは・・・人生の中で、何より、幸せなこと・・。 静かな死期の中、人は、より深い目線の中に、それは、深い、より深い、とても美しい新しい絆を(無言の深い目線の中に)残す。 深い瞳は、死期を知らせ、苦痛の無いことを知らせ、永久の世界への旅路を知らせる。しかし、それだけで無いと・・・。もっと、もっと、美しい何かを伝えているが、今の私には、まだ・・・分からない。 ・自分で体験する時は、伝えれるのだろうか? 2145 2023・5・9・魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |
★数年前、残されたもの
・突然、幸せの家・ありがとうを訪ねて来た。そして、「ここで、しばらく住みたい。」と・・・。
その余りの寂しそうな様子と、突然のご入所に 驚いた。 奥様の介護疲れで、奥様を施設にお願いしたが、一人になるとヘルパーさん達の訪問も無くなり、寂しさに耐えられなくなったとのこと。 そして、「こんな、小さい建物だけど、ここで暮らすわ」と言って、その夜から、管理室が気に入ったと・・・・。部屋の説明にも聞き入れが無く困ったが、兎に角、その夜は、泊まって頂くことにした。しかし、食事時間も守ってくれず、温めたり作り直したり、また、部屋は、書き物の墨で、布団や家具、壁までもが、黒いしみだらけになり、その上、1階は、夜間に管理者がいないので暮らせないと言っても聴きいれず、その夜から、夜勤者も一人増やし大変となった。 しかし、とにかく、心の痛みが少なくなるまでと、様子を見ることにした。 そして、10日過ぎの事、久しぶりに外出され「大きな施設に入れる事になったから」と、嬉しそうに、荷物を整理して、突然、帰った。 部屋には、こんな句が残されていた。幸せの家・ありがとうに来て、読んだ一句と。 老いのすえ 小さき 幸せ 満ちいりて しかし、彼は、更なる幸せを求めた。 その施設は、ベット上の生活だったが、元気な彼には、耐えがたいと、悲しい手紙が次々届いた。しかし、家族連絡をして、話し合ったが、望みは、叶わなかった。 そして、山のような手紙を頂いたが、一年ほどで、永久の旅立へと・・・。 2023・5・8・魔法の言葉~ありがとう~を添えて! |